少子化問題にまつわる価値観等の問題

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少子化問題は狭い意味での家族政策だけですむ話ではありません。価値観の問題、労働問題、地域社会や一般社会の問題も複雑に絡んできます。


◆価値観の問題
一番難しいのは「価値観の問題」でして、南ョーロッパから北の西ヨーロッパ諸国、あるいは米国、豪州などと比べると、家族観、ジェンダー観がかなり違います。伝統的な性別役割分業型の家族観、親子関係が夫婦関係に優位するような拡大家族的な家族観、夫唱婦随的なものが残っているジェンダー観、そういうものがこの問題にかかわっているのではないでしょうか。日本、アジアNIEs、南欧諸国で少子化が大変深刻で、しかも女性の社会進出も乏しい、女性が社会進出している場合には未婚者が非常に多いという状況を見ると、こうした価値観がこの問題の解決を妨げているのではないかと感じざるを得ません。日本やアジアNIEsには儒教文化の共通の伝統があり、日本には戦前の家制度の影響が残り、南欧諸国では、マチズム(machism)といわれる価値観がいまだ残っています。従って家族政策を超えた政策的な視点としては、男女共同参画をさらに強力に推し進めることがこの問題の解決につながるのではないかと思っています。出生率も、女性の労働力率もともに低い状況を突破しないと、この問題の解決はないと思います。


もう一つは、同棲、婚外子が少ないということです。だからと言って、「では、同棲を奨励しろ」とか、「婚外子を認めればいいのだろう」ということではありません。これは、若者がどういう行動を選択するかという問題であって、政策的にどうこうしにくい問題であるように思います。非同居カップル、同棲、婚姻を全部含めて先進諸国を横に並べると、どうも日本は「親密な男女関係」が最も少ない国のようです。今年の日本人口学会でも、日本は、若者も中高年者も、男と女の距離が大変遠い社会になってしまった。この距離を縮めなければ、少子化問題も高齢者問題も解決がつかないということが話題になりました。これは政策には馴染みにくい問題なのですが、十分考えていく必要があります。


◆不安定就労の若者
二つ目は労働問題で、最近フリーターやニート(仕事に就かない若者)の増加が指摘され、さらに派遣労働やパートがふえて、若者の不正規就労とか不安定就労の増加が社会問題化する状況が出てきました。そういうものが若者の将来設計をたてにくくしており、結婚や出産が減るのはそのせいではないかと指摘する人もいます。ただし、これは必ずしもデータで証明されているわけではないのですが、九〇年代半ば以降については二つの現象が同時的に起こっていることは事実です。従つて、労働政策として、あるいは教育政策として、若者の就労を促進することが少子化対策につながる可能性はあります。


◆企業・労働市場の問題
三つ目は企業・労働市場の問題です。この問題で政府がやれることには限りがあります。両立支援といっても、根本的には日本人の働き方、働かせ方の問題が大きいのではないかと思います。ファミリーフレンドリーな(家族に優しい)会社が注目されています。ILO(国際労働機関)の国別比較調査でも、やはり会社のボスが赤ちゃんにどれだけやさしいかということがこの問題の解決につながるということでしたが、日本の今までの企業の働き方、働かせ方、とりわけ普通の先進国ではありえないような「サービス残業」が存在すること自体が、仕事と家庭の両立を難しくしている最大要因ではないかと思います。次世代育成支援対策推進法がそういうものを改善する方向に使われれば非常に望ましいのですが、それがどこまで実行されるかは、ペナルティーがないだけに、おぼつかない部分があるように思います。


次世代育成支援対策推進法が掲げているもう一つの目的は、日本全体の自治体が、子ども、子育てにやさしいコミュニティーをつくっていくことですので、その力が発揮されて、自治体自身の努力でそういう方向に向かって行けば、大変望ましいことでありますが、それがさらに広まって、社会全体が子どもや子育て中の家族に優しくなり、ファミリーフレンドリーな社会になっていけば、結果としてある程度少子化問題の解決につながると思います。




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日本の家族政策の国際比較

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日本の家族政策は、国際比較的にみるとどのような位置づけになるのでしょうか。。


一つは子育ての経済支援で、児童手当と税制における扶養控除が中心になります。子育ての経済支援政策を国際比較研究している英国のブラッドショーの研究が役立ちます。彼は家族モデルをつくって、各国別に子どもを持つことによってどの程度可処分所得が変わるかを計測し、それを国際比較したものです。日本の子育て経済支援は、先進国の中で平均以下で、南ヨーロッパ諸国に近いです。先進国間で非常にばらつきがありますが、日本は胸を張れるような状況ではありません。


二つ目は仕事と子育ての両立支援ですが、このうち保育サービスの分野を比較してみましょう。この分野で著名なカーメルマンの研究では、「保育施設(幼稚園も含む)」に0〜2歳人口、3〜6歳でのグループごとの入所率をみました、日本は低い所に位置します。ただし、日本では専業主婦が多いから入所率が低くなるともいえます。逆に、フランス、ベルギーのようなフランス語圏では、ほとんどが保育施設のサービスを利用していることにもなります。0〜2歳の方は、育児休業制度との関係もあるため、複雑になりますが、それでも北欧諸国の入所率は大変高い。北欧諸国の場合、母親が育児休業を取った後すぐに、ほぼ全員が保育所に入るので、入所率が50%くらいになるのです。


各国の育児休業制度をみると、14年間で日本の育児休業制度はヨーロッパの中間水準並みになってきました。ただし、北欧諸国と比べると、足りない部分がいろいろあります。子どもが生まれた直後の女性の出産体暇にあわせて父親が休暇をとるという制度が北欧諸国では一般的でありますが、日本の場合は育児休業の一年間の権利のなかから父親がとれるとなつているのみです。スウェーデンやノルウェーのように、有給育児休業期間を一年か一年三カ月とし、そのうち四週間は男性しかとれないと義務付けてしまう国もありますが、日本ではそれもない。


子どもが熱を出したときに両親が休暇をとれる。「家庭事情休暇」も北欧は非常に充実している。日本ではこれも努力義務でしたが、ようやく2005年から小学校入学前の子ども一人につき、年間5日間の看護休暇がとれることになりました。


◆仕事と子育ての両立支援
そうした制度の帰結として、女性の労働力率と出生率の関係をみると、仕事と家庭の両立支援が社会全体として強まれば、女性も働きやすい、そして子育てもしやすい。だから女性の労働力率も出生率も高くなるはずなのですが、そういう国は緩少子化国です。超少子化国の日本や南ヨーロッパ諸国は、女性の労働参加も少ないし、出生率も低い。その理由の一つは、両立支援政策が不十分で、実効性が乏しいからといえます。


日本では、学校を卒業してフルタイムの仕事に就いた女性のうち、結婚を経て第一子の出産までに70%強が退職してしまいます。職場に残った人の中で育児休業をどれだけ取るかというと、まだ70%ぐらいです。そういう状況ですので、法律はあっても、なかなか実際には利用されていないという側面があるように思われます。


もう一つは、子育て家庭に対する社会保障給付の関係ですが、国立社会保障・人口問題研究所の勝又幸子がOECDのデータに基づいて研究しました。社会保障給付の中で、子どもや家庭に対する給付がGDP比でどれくらい使われているかを示したものです。日本と南ヨーロッパはよく似ていて、非常に給付水準が低い。社会保障給付の中で、子どもや家庭に使われる給付と高齢者向けに使われる給付がどういう割合になっているかを示したものですが、日本と南ヨーロッパは子どもへの給付割合が低く、高齢者への給付割合が高く、どちらかというと「子どもに冷たく、高齢者にやさしい」社会と言えそうです。少子化対策開始以後の日本の家族政策は、育児休業制度の導入、休業中の所得保障の充実、保育サービスの拡充と、両立支援という点では見るべき変化はありましたが、女性労働者の結婚・出産退職率の高さなどからみても、仕事と子育ての両立がなかなか実現しがたい状況が顕著であるように思われます。子育ての経済支援も徐々に強化されてきましたが、先進国の中では、南ョーロッパ諸国と並んで、日本は最も支援の薄い国の一つです。さらに社会保障費全体として見ても、南ヨーロッパ諸国と並んで、子どもにやや冷たい状況が見てとれます。家族政策という観点だけから見ると、家族政策が北欧諸国やフランス語圏諸国ほど強力ではないことが、日本や南ヨーロッパの超少子化状況に、関係がある可能性があります。この点で日本の家族政策が一段と強化されることが期待されます。



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少子化対策以後の家族政策

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1990年6月に1989年の出生率が発表されたときに、史上最低の出生率ということで、「1.57ショック」を引き起こしました。そこから日本の少子化への政策転換が始まったわけです。初手は「健やかに子どもを産み育てる環境づくりに関する関係省庁連絡会議」が発足したことでした。その連絡会議が1991年1月に短いポジションペーパー(政策報告文書)を出しました。それが日本の少子化政策の基本になっていて、以後それほど大きなスタンスの変更はありません。そこでは出生率低下の問題は個人のプライバシーに深くかかわる問題という基本認識に立って、結婚や子育てに意欲を持つ若い人々を支える環境づくりを進めるべきであると主張しています。環境整備という点で様々な政策が羅列されており、それ以降の政策の多くも同じ視点で行われています。

【表】日本における少子化に関連した政府対応の推移


1990年6月…「1.57ショック」
1990年8月…「健やかに子供を生み育てる環境づくりに関する関係省庁連絡会議」
1991年1月…  同 報告書
1991年5月…  育児体業法成立(1992年4月施行)
1992年11月…  経済企画庁『国民生活白書:少子社会の到来、その影響と対応』
1994年12月…  エンゼルプラン・「緊急保育対策等5ヶ年事業」
1995年4月…  育児休業中の所得補償(25%)と社会保険料免除
1997年6月…  保育制度の見直し(措置制度から選択性へ)
1997年10月…  人口問題審議会・少子化報告書発表
1998年6月…  厚生省『平成10年版厚生白書―少子社会を考える』
1998年7月…「少子社会への対応を考える有識者会議」設置
1998年12月…  同 報告書
1999年5月…「少子化対策推進関係閣僚会議」設置
1999年6月…「少子化への対応を推進する国民会議」設置
       男女共同参画社会基本法成立
       厚生省・低用量経口避妊薬(ピル)認可
1999年12月…「少子化対策推進基本方針」
       新エンゼルプラン(平成12~16年)
2000年5月…  児童手当制度の改正(義務教育就学前までの児童に拡大)
2001年1月…  育児休業中の所得補償(40%)
2001年7月…「仕事と子育ての両立支援策」(待機児童ゼロ作戦)
2002年3月…「少子社会を考える懇談会」設置
2002年9月…「少子化対策プラスワン」
2003年7月…「少子化社会対策基本法」成立、「次世代育成支援対策推進法」成立
2004年4月…  児童手当制度の改正(小学3年生までの児童に拡大)



とりわけ1.57ショックによって、すぐに制度化されたのが、育児休業制度です。育児休業法が成立し、徐々に改善されてきました。一年間の育児休業期間中、最初は所得保障がなかったのが、25%の保障がつき、社会保険料の支払いは免除され、さらに所得保障が40%へと引き上げられました(2005年からは、保育所入所待機の場合には、6カ月間延長可能となりました)。公務員については、最初の一年間は所得保障があり、あとの二年間は無償ですが、三年間育児休業がとれるというように、変わってきました。


エンゼルプランと新エンゼルプランは5カ年計画で、主として育児休業を取得した後の保育サービスの強化を続けてきました。保育所の数そのものは、実は1990年代に入る前に、全国的には供給過剰になっていたのですが、その使い勝手は午前九時から午後五時までと判で押したような利用の仕方であるため非常に使いづらいということで、サービスの拡大が進みました。乳児保育、早朝保育、延長保育、一時保育などの使い方ができました。幼稚園にも、預かり保育が出てきました。さらには、小学校の放課後児童対策も出てきた。日本では、ベビーシッター(子守)サービスが社会的に発達しません。それを補う形のファミリーサポートセンターのように、地域ごとに自治体が音頭をとってベビーシッターをシステム化するということが行なわれています。地域社会における保育サービスの供給を拡大していく、そういう様々な政策がとられ続けたと見ることができます。


育児休業並びに保育サービスは、仕事と家庭の両立支援、ジェンダー関係の改善という点が主眼の政策です。その点では、まがりなりにもこの一四年間、政策が強化されてきたと捉えることができると思います。


家族政策のもう一つの中心になる子育て経済支援は、児童手当法が何回か改正されたのですが、つい最近児童手当が小学三年生まで支給されるようになるまでは、全体としてはほとんど強化されませんでした。


◆政策スタンスの変化
政策的には、どこで大きく変わったのでしょうか。1997年に人口問題審議会が「少子化報告書」を出しました。翌1998年に、厚生省が初めて少子化問題を取り上げた『厚生白書』を発表しました。それ以前はどちらかというと、男女役割分業型の家族観を大きく変えることはないままに、女性の社会進出の進展に応じて、育児休業制度の導入やエンゼルプランで対応するという感じでした。ところがこの「人口審報告」と「厚生白書」は、非常に大胆な政策転換を表明しています。それまで日本社会の前提とされていた日本型雇用慣行とか家族のあり方を真っ向から批判しました。「固定的な男女の役割分業」や、「仕事優先の企業風土の是正」などの言葉で、日本社会の根幹をなすシステムを批判するという先進的なスタンスをとつています。


もう一つの大きな変化が、2002年の「少子化対策プラスワン」です。それまでの10年間、少子化への対応を続けてきたけれど、出生率は年々下がり続けているため、もう一工夫必要だということでプラスワンが打ち出されました。背景には、1990年代までは出生率低下の基本的な原因が、結婚・出産の高年齢への先送り、いわゆる未婚化、晩婚化、晩産化にあるという認識が強かったのですが、結婚後の子どもの産み方も九〇年代に入って徐々に遅くなっていることが、新しい動向として明らかになりました。それまでの、「仕事と家庭を両立させる政策をとれば、間接的に結婚支援になり、出産支援にもなるのではないか」という見方から、「もっと直接的に、子育てしやすい家庭をつくることに力点を置く。専業主婦の子育ても支援する」という考え方が出てきました。


このプラスワンに基づいて、「次世代育成支援対策推進法」が2003年に出来ました。これは、少子化対策プラスワンの一項目として入っていたものを法制化したものですが、従業員301人以上の事業主、すべての自治体、国の行政機関に子育て環境の改善を求めています。


企業にとっては、仕事と子育てが両立しやすくするための計画を自らつくり、具体的な達成目標値を立て、それを国に報告することを義務付けたものです。民間の活動に政府が直接介入するという一見非常に強力な政策です。もう一つは、超党派の議員グループの提案による「少子化社会対策基本法」です。これは基本法ですから、具体的な政策が大まかに並んでいます。基本法は、高齢社会対策基本法とか、男女共同参画基本法と同じように、総理直轄の内閣府の法律ですので、内閣が直接この少子化問題に責任を持つことを明示したものです。少子化社会対策会議を設け、少子化社会対策大綱をつくり、毎年、『少子化社会白書』を出すことを義務づけた法律です。


海外から見ると、「日本はすごい政策を推進している」という印象をもたれているようです。しかし、外国の研究者に「実は、この法律にはペナルティーがない」と説明すると、皆「何だ」という顔をします。欧米では、ペナルティーのない法律はあまり意味を持たないのです。日本の場合は、以前から罰則規定のない法律を、努力義務などを設けて施行する傾向がありますので、何がしかの意味はあると思いますが、海外では消極的なものと受けとめられています。しかし、少子社会対策基本法の中に、「少子化に歯止めをかける」という一言が入っていることが重要でして、そこから日本の少子化対策が、出生率に対する直接的なかかわりを持つ家族政策に転換したと見ることができます。


国連人口部が中心になり、人口の様々な動向を各国政府がどのように評価し、政策的な対応をしているか否かを定期的に調査しています。1996年までの調査では、日本は、「出生率が低すぎる。しかし、政策的な介入はしていない」という回答だったのですが、2003年のアンケートでは、「引き上げ」という方向に変わっています。幾つかの国がそちらの方向に答える傾向が出てきています。つまり1996年から2003年の間に、そういう立場をとる国が全体として増えているといえますが、日本もそちらの方向に舵を切ったといえると思います。それが今の日本の家族政策の政策理念の変化です。


◆世論の変化
政府のスタンスの変化の背後には、世論の変化もあるように思われます。2000年まで2年ごとに行ってきた調査結果の一部で、1990年以降の結果を並べたものです。調査対象は50歳未満の女性ですが、少子化についての態度として、「少し心配」と「非常に心配」のパーセントが年を追うごとに増えています。とくに「非常に心配」が増えています。全体として、70~80%の女性が「心配」と答えています。


政府による少子化対策への賛否の推移を示しています。1996年と1998年の間で回答の選択肢が変わっていますので単純比較はできませんが、1990年から1996年でみると、少子化対策に賛成か反対かという二者択一的な質問でしたが、徐々に賛成が増えてきました。1998年からは、「子育て環境の改善」という選択肢を加えましたので、それを支持する人が大きなシェアを占めていますが、1998年から2004年の間でも出生政策に賛成する人が増える傾向が見てとれます。政府のスタンスの変化と、世論の変化が、ある程度整合性をもつと見ることができます。以上が少子化対策以後の日本の家族政策理念と世論の変化です。


◆領域別の変化
「少子化対策」以後の領域別の変化に注目してみます。家族法の領域は大きく変わっていません。離婚が一段とふえてきて、非嫡出子の相続権の問題とか、夫婦別姓の問題とか、いろいろ出てきていますが、今のところ法的な改正はありません。


リプロ・ヘルスの領域では、若者の間で未婚者がふえ、未婚者の性交渉がふえ、性感染症がふえ、中絶率が上がり、「できちゃった婚」がふえるなど、非常に大きな変化が続いています。相変わらず婚外子の率は非常に低いため、婚姻=出産の体制は続いています。もう一つこの分野で大きいのは、1994年の国際人口開発会議(カイロ会議)の行動計画が日本に及ぼした影響です。


優生保護法が母体保護法に改められ、遺伝的理由による不妊手術が認められなくなったことが第一点。それから、長い問懸案になっていた経口避妊薬(ピル)が1999年に認可されたことも、カイロ会議の影響ではないかと考えられます。ビルは欧米と日本では異なった歴史をたどつたために、ピルが認可されたといつても、利用する人は非常に少ない状況にありまして、欧米においてピルがもつた技術的、社会的な意味合いを日本でも持つかどうかは、今のところ分かりません。ピルの認可が女性の避妊に対するイニシアチブを促すことに全くつながっていません。他にリプロ。ヘルスの問題では、晩婚、晩産の影響が多分あるのでしょうが、不妊カップルが大きくふえていることが指摘されており、国立社会保障・人口問題研究所の調査でも、 13%の夫婦が不妊の相談をしていることが分かりました。不妊治療の問題が少子化社会対策基本法の中の一項目として取り上げられたのも、そういう背景があるのではないかと考えられます。


子育ての経済支援の領域については、2004年に児童手当が小学校3年修了まで引き上げられました。第一子、第二子が月5,000円、第三子以降は月10,000円という形で、子育て経済支援が強化されたわけですが、変化としてはそれほど大きなものではありません。



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家族政策の整理

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日本の家族政策を整理すると家族法の領域、リプロダクテイブ・ヘルスの領域、子育て経済支援の領域、ジェンダー関係の領域に分けられるでしょう。家族法は、婚姻、離婚、相続、扶養義務などの分野にあたります。リプロダクティブ・ヘルスは、性や避妊、中絶、不妊などの問題を扱います。子育て経済支援は、児童手当や税制控除のような分野になります。教育費もそこに入るかもしれません。ジェンダー関係は、仕事と家庭の両立支援という分野にあたります。



◆家族法の領域
日本の企業社会が全体として、日本的な雇用慣行を良しとした時代、あるいは、それを成熟させてきた時代と捉えることができます。日本的雇用慣行は、終身雇用、年功序列、年功賃金が制度化されたものです。ただし、それは男子についていえることで、女子については、多くの企業は、結婚適齢期に女性は結婚して退職することを前提として、いろいろな企業社会の雇用の仕組みを作ってきたのです。結婚した女性は家庭に入り、家事・育児に専念することを期待した仕組みでもありました。


このように性別役割分業型の雇用モデルを企業社会がとっていたことと補い合うように、日本の90年以前の家族政策もそうした性別役割分業型の家族モデルを主としてきた、と捉えることができます。一口でいえば、専業主婦型家族を標準モデルとしていました。そして限られた予算を、子育てが自分で出来ない低所得層、あるいは子どものいる共働き家庭に対する福祉に振り向けてきました。「保育に欠ける世帯」という言葉が児童福祉法の中にありますが、それはまさに専業主婦が保育を担う世帯を標準とする政策のスタンスを表していたと思います。


婚姻、離婚、婚外子という問題に目を転じると、基本的に婚姻の普遍性がその時代の特徴であり、離婚や婚外子は例外として特徴付けられてきました。嫡出子と非嫡出子の遺産相続権に差がつけられていることも、その時代から今日まで変わっていません。離婚は当時から現在まで90%が協議離婚ですが、離婚率は70年代から徐々に上昇していました。最初のうちは離婚後夫方が子どもを引き取るケースが多かったのですが、その後、妻方が引き取るケースが急激にふえて、90年には後者が七割を超えました。父子家庭よりもむしろ母子家庭が中心になってきています。そのような離別母子家庭を支える意味で児童扶養手当が存在したわけです。それ以外に、離婚後の男性からの養育費支払い不履行が大変多かったことも大きな特徴です。婚姻の普遍性、離婚・婚外子の例外性は徐々に変わってきていましたが、基本的には80年代半ば頃までは、その傾向は崩れていなかったと見ることができそうです。


◆リプロ・ヘルスの領域
婚姻=性=出産の三位一体性が保たれてきました。しかしながら、70年代に入ってから、未婚者の性行動が徐々に活発化し始めて、性と婚姻・出産の分離が始まりました。これは、日本性教育協会の調査から明らかになっています。日本では中絶の合法化が1940年代に行われましたが、その点が70年代に中絶が合法化された米国や欧州の国々と非常に違うところです。中絶が早く合法化されたためかどうか断定はできませんが、女性の避妊意識が高まっていない。男性主導の避妊法が支配的であるために、ビルの認可が遅れ、IUDの認可も種類が少ない、そういう状況が、70年代、80年代と続いてきました。夫婦の避妊実行率が、先進国では70~80%ですが、日本の場合は50~60%を上下しており、それだけ人工妊娠中絶が多く使われている実態を反映していると考えられます。


◆子育ての経済支援の領域
1972年に児童手当が発足し、1950年に税制上の扶養控除が始まります。児童手当は、額としてはかなり限られたものであり、厳しい所得制限の下で1986年に義務教育就学前の第二子以降の子どもに月額2,500円、第三子以降は5,000円が支払われる制度となりました。日本ではこの時期大学進学率が上がっています。私立大学はもちろん、国公立大学も徐々に授業料が上がってきて、欧米諸国に比べると教育費の負担が大きくなってきています。大学進学率が上昇した分だけ、子育ての負担が大きくなってきていることが考えられます。


◆ジェンダー関係の領域
1950年代までは、夫は稼得者、妻は専業主婦という、男女役割分業型の家族モデルが支配的でした。多数派の専業主婦に対する保護措置が整えられる一方で、少数派の低所得層の有子共働き家庭、または母子家庭に対する支援が、母性保護対策並びに福祉対策として行なわれてきたと見ることができます。専業主婦に対する優遇保護措置という意味では、所得税制における配偶者控除、配偶者特別控除、それからサラリーマンの妻は第二号被保険者として、基礎年金の保険料を夫が払っているとみなす「見なし払い」の形が1985年に施行されています。そういうことも含めて専業主婦が保護されてきました。


それに対して働く女性にとっては、女性労働に対しての多くの保護規定にみられるように、女性と男性は違うのだという認識と同時に、育児体業制度がなかったことと、保育所も使い勝手の悪い状態が続いてきたこともあって、仕事と家庭の両立が容易でなかったととえることができるでしょう。全体としてみると、1980年代末までの家族政策は「出生率向上の意図を全くもたない家族政策」であったといえるでしょう。




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家族政策と少子化対策

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日本は超少子化国の代表的な国であるといえます。日本で「少子化対策」が始まったのは1990年です。1990年代以前は、政府は少子化に対して対策を実施せず、1990年の1.57ショック以来、少子化対策が実施されるようになったわけです。


少子化対策という語にはあいまいさがあり、その代わりに「家族政策」という言葉を使ったほうがいいでしょう。一般的に海外では「家族政策」という語がが使われています。家族政策は、「子どもを持つ家族の福祉向上を目的とする、広い意味での社会政策の一部分」を意味しています。


人口政策としての「出生促進政策」は、「出生率の向上を目指す政策」と定義できます。日本で使われる「少子化対策」は家族政策と出生促進政策のどちらなのか曖味なわけです。家族政策を人口政策的意図との関係で三つに分けると、
❶出生率の向上を明示的、直接的に狙った家族政策、
❷出生率の向上に問接的に影響を与えることを狙った家族政策、
❸出生率の向上の意図を持たない家族政策、と分けることができます。


少子化対策は一体その中のどれに当たるのでしょうか。1990年から2005年までの中で、その意味合いを少しずつ変えてきています。出発点は、出生率向上の潜在的意図を持った家族政策でした。2000年代に入り、はっきり出生率向上という明示的な意図を持った家族政策に変わってきました。



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少子化現象の世界的視野

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日本の合計特殊出生率(以下、出生率)は、1974年に人口置換水準を下回ってから低下を始めました。「人口置換水準以下への出生率の低下、それに基づく子どもの数の減少」を少子化と定義すると、日本は、少子化社会としてすでに1970年代からの経験があるわけです。


出生数は、第二次ベビーブームの年間200万人から、いま数十万人台に減っています。出生率が変わらなければ、本当は第三次ベビーブームが来るはずだった時期にも、実際は「幻」となってしまいました。団塊ジュニア世代以降、20代の人口が急速に減ってきますから、これからは出生数の減少がより明瞭に感じられるようになるでしょう。


重要なことは、この少子化現象は、日本ばかりではなく、先進国全体に共通する現象だということです。さらにいえば、先進国のみならずアジアNIEs(新興工業国)諸国、中国やタイも、出生率2.1以下という状態になっていることから、ある意味では少子化現象に見舞われているといえるのではないでしょうか。経済水準の点で、日本と近い先進国並びにアジアNIEsを比較してみると、少子化現象は先進国全体で、70年代から続いています。アジアNIEsはもう少し歴史が浅いが、今後、先進国と同様の状態が続くことになるでしょう。しかし、同じ少子化といっても、出生率はばらついており、80年代以降、ある程度の出生率を維持した国、あるいは出生率が反騰した国と、さらに下がり続けた国あるいは低迷を続けている国、大別すると二つのグループに分けられます。


出生率1.3以下の国は英語でLowest Low-Fertilityと定義づけられています。いわば、「超低出生率国」あるいは「超少子化国」と呼ぶことができます。そうしたグループには、日本、南ヨーロッパ諸国、アジアNIEs、体制転換後の東ヨーロッパ諸国が含まれます。


もう一つは、出生率が1.6以上2.1以下と比較的高いグループで、米国を筆頭とする英語圏国、フランス語圏諸国、北欧諸国などです。このグループを「緩少子化国」、緩やかな少子化国と仮に名づけます。


その中間にドイツ、オーストリアなどのドイツ語圏諸国がありますが、出生率が1.4程度で、しかも非常に長い間低迷しています。これは超少子化国に近い状況ではないかと考えられます。



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戦略史そして終末期ケア

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戦略という知識は人類の英知の中でももっとも洗練された知識です。 生き延びること、勝ち残ることは生き物にとってもっとも本質的なテーマであるからです。生き延びるため、勝ち残るための方策を真剣に試行錯誤してきた結果、多くの戦略が生み出されたのです。 戦略という英知を受け継いでいきましょう。

介護におけるターミナルケアの位置づけは色あせることはない。ターミナルケアの高度化は必須の要素である。

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フレンド・ショアリング

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米国バイデン政権は、「フレンド・ショアリング(friend-shoring)」というコンセプトをが提唱している。フレンド・ショアリングは「信頼できる貿易パートナーとの経済統合を深めること」で、同盟関係や友好関係にある国地域内でのサプライチェーンを構築するとともに、さらに多様化し、経済的リスクの軽減も進めることを含めて考える。

フレンド・ショアリングは米中間の覇権競争の顕在化と深刻化の中で、2016年頃から米国の経済安全保障の一環として構築を急いだサプライチェーンの重要なコンセプトである。

直接的には、米中覇権競争、世界的なコロナパンデミックやウクライナ戦争等による対応として出現した考え方とみることができるが、行き過ぎたグローバル経済の適正化もしくはパラダイムシフトとして捉えることもできる。

●2021年「繁栄のためのインド太平洋経済枠組み(IPEF:Indo-Pacific Economic Framework for Prosperity、以下IPEF)」(東アジアサミットでバイデン大統領によって提唱)
●2022年「貿易・技術協議会(TTC:Trade and Technology Council)」の設立。米国とEUの間での経済安全保障の確保を目的。

フレンド・ショアリングは、経済安全保障は保護主義によってのみ実現可能という主張への反論でもある。国内生産や少数の国との取引にだけ限定してしまえば、貿易の効率向上を著しく損ない、アメリカの競争力とイノベーションに打撃を与えるだろう。私たちの目標はリスクのある国との取引やサプライチェーンの集中から脱却し多様化を図ることだ。フレンド・ショアリングは閉鎖的ではなく、先進国に加え新興市場や途上国におけるアメリカの貿易パートナーも含めたオープンなものになる。



技術経営の手帳 · 技術の統治と人間の統治

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技術(technology)は、人類に様々な可能性を与えてきた。その範囲と影響力の大きさは限度がなくなりつつあるようにみえる。

しかし、技術は自らの意思を持つわけでも、それ自体で成長したりすることもできない。技術は統治することもできる存在である。

技術が人類によって統治可能だからといって、その統治を行えるというわけではない。

技術は、そもそも知識である。知識は人間と切り離して存在することはできない。

そして、技術は科学とは異なる。技術はあくまで科学知識を人間の特定の目的のために再構築したものである。

故に、技術は二重の意味で人間社会から切り離すことができない存在である。

このように人間と切り離すことができないという性質から技術は統治が困難になっている。人間は不可思議の塊で、さらにその人間が複数人集まれば週癌・社会が形成される。

人間一人でも予測や統治が難しいが、社会という単位になるともはや統治は部分的にしかできない。完全に人間や社会を統治するという幻想を持つのが全体主義である。

統治の対象が人間・社会であれば、部分的にでも統治できているのであるから問題ないが、技術は完全統治できなければ問題が生じる。

なぜなら、技術は一粒でも取りこぼせば社会全体、人類の命運を途絶えさせるような力を持っているからである。

技術を統治することは今後、人類の歴史を永らえさせるために構築せねばならない知識なのだ。



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