家族政策の整理

戦略史概論 | 記事URL


日本の家族政策を整理すると家族法の領域、リプロダクテイブ・ヘルスの領域、子育て経済支援の領域、ジェンダー関係の領域に分けられるでしょう。家族法は、婚姻、離婚、相続、扶養義務などの分野にあたります。リプロダクティブ・ヘルスは、性や避妊、中絶、不妊などの問題を扱います。子育て経済支援は、児童手当や税制控除のような分野になります。教育費もそこに入るかもしれません。ジェンダー関係は、仕事と家庭の両立支援という分野にあたります。



◆家族法の領域
日本の企業社会が全体として、日本的な雇用慣行を良しとした時代、あるいは、それを成熟させてきた時代と捉えることができます。日本的雇用慣行は、終身雇用、年功序列、年功賃金が制度化されたものです。ただし、それは男子についていえることで、女子については、多くの企業は、結婚適齢期に女性は結婚して退職することを前提として、いろいろな企業社会の雇用の仕組みを作ってきたのです。結婚した女性は家庭に入り、家事・育児に専念することを期待した仕組みでもありました。


このように性別役割分業型の雇用モデルを企業社会がとっていたことと補い合うように、日本の90年以前の家族政策もそうした性別役割分業型の家族モデルを主としてきた、と捉えることができます。一口でいえば、専業主婦型家族を標準モデルとしていました。そして限られた予算を、子育てが自分で出来ない低所得層、あるいは子どものいる共働き家庭に対する福祉に振り向けてきました。「保育に欠ける世帯」という言葉が児童福祉法の中にありますが、それはまさに専業主婦が保育を担う世帯を標準とする政策のスタンスを表していたと思います。


婚姻、離婚、婚外子という問題に目を転じると、基本的に婚姻の普遍性がその時代の特徴であり、離婚や婚外子は例外として特徴付けられてきました。嫡出子と非嫡出子の遺産相続権に差がつけられていることも、その時代から今日まで変わっていません。離婚は当時から現在まで90%が協議離婚ですが、離婚率は70年代から徐々に上昇していました。最初のうちは離婚後夫方が子どもを引き取るケースが多かったのですが、その後、妻方が引き取るケースが急激にふえて、90年には後者が七割を超えました。父子家庭よりもむしろ母子家庭が中心になってきています。そのような離別母子家庭を支える意味で児童扶養手当が存在したわけです。それ以外に、離婚後の男性からの養育費支払い不履行が大変多かったことも大きな特徴です。婚姻の普遍性、離婚・婚外子の例外性は徐々に変わってきていましたが、基本的には80年代半ば頃までは、その傾向は崩れていなかったと見ることができそうです。


◆リプロ・ヘルスの領域
婚姻=性=出産の三位一体性が保たれてきました。しかしながら、70年代に入ってから、未婚者の性行動が徐々に活発化し始めて、性と婚姻・出産の分離が始まりました。これは、日本性教育協会の調査から明らかになっています。日本では中絶の合法化が1940年代に行われましたが、その点が70年代に中絶が合法化された米国や欧州の国々と非常に違うところです。中絶が早く合法化されたためかどうか断定はできませんが、女性の避妊意識が高まっていない。男性主導の避妊法が支配的であるために、ビルの認可が遅れ、IUDの認可も種類が少ない、そういう状況が、70年代、80年代と続いてきました。夫婦の避妊実行率が、先進国では70~80%ですが、日本の場合は50~60%を上下しており、それだけ人工妊娠中絶が多く使われている実態を反映していると考えられます。


◆子育ての経済支援の領域
1972年に児童手当が発足し、1950年に税制上の扶養控除が始まります。児童手当は、額としてはかなり限られたものであり、厳しい所得制限の下で1986年に義務教育就学前の第二子以降の子どもに月額2,500円、第三子以降は5,000円が支払われる制度となりました。日本ではこの時期大学進学率が上がっています。私立大学はもちろん、国公立大学も徐々に授業料が上がってきて、欧米諸国に比べると教育費の負担が大きくなってきています。大学進学率が上昇した分だけ、子育ての負担が大きくなってきていることが考えられます。


◆ジェンダー関係の領域
1950年代までは、夫は稼得者、妻は専業主婦という、男女役割分業型の家族モデルが支配的でした。多数派の専業主婦に対する保護措置が整えられる一方で、少数派の低所得層の有子共働き家庭、または母子家庭に対する支援が、母性保護対策並びに福祉対策として行なわれてきたと見ることができます。専業主婦に対する優遇保護措置という意味では、所得税制における配偶者控除、配偶者特別控除、それからサラリーマンの妻は第二号被保険者として、基礎年金の保険料を夫が払っているとみなす「見なし払い」の形が1985年に施行されています。そういうことも含めて専業主婦が保護されてきました。


それに対して働く女性にとっては、女性労働に対しての多くの保護規定にみられるように、女性と男性は違うのだという認識と同時に、育児体業制度がなかったことと、保育所も使い勝手の悪い状態が続いてきたこともあって、仕事と家庭の両立が容易でなかったととえることができるでしょう。全体としてみると、1980年代末までの家族政策は「出生率向上の意図を全くもたない家族政策」であったといえるでしょう。




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