少子化対策以後の家族政策

戦略史概論 | 記事URL


1990年6月に1989年の出生率が発表されたときに、史上最低の出生率ということで、「1.57ショック」を引き起こしました。そこから日本の少子化への政策転換が始まったわけです。初手は「健やかに子どもを産み育てる環境づくりに関する関係省庁連絡会議」が発足したことでした。その連絡会議が1991年1月に短いポジションペーパー(政策報告文書)を出しました。それが日本の少子化政策の基本になっていて、以後それほど大きなスタンスの変更はありません。そこでは出生率低下の問題は個人のプライバシーに深くかかわる問題という基本認識に立って、結婚や子育てに意欲を持つ若い人々を支える環境づくりを進めるべきであると主張しています。環境整備という点で様々な政策が羅列されており、それ以降の政策の多くも同じ視点で行われています。

【表】日本における少子化に関連した政府対応の推移


1990年6月…「1.57ショック」
1990年8月…「健やかに子供を生み育てる環境づくりに関する関係省庁連絡会議」
1991年1月…  同 報告書
1991年5月…  育児体業法成立(1992年4月施行)
1992年11月…  経済企画庁『国民生活白書:少子社会の到来、その影響と対応』
1994年12月…  エンゼルプラン・「緊急保育対策等5ヶ年事業」
1995年4月…  育児休業中の所得補償(25%)と社会保険料免除
1997年6月…  保育制度の見直し(措置制度から選択性へ)
1997年10月…  人口問題審議会・少子化報告書発表
1998年6月…  厚生省『平成10年版厚生白書―少子社会を考える』
1998年7月…「少子社会への対応を考える有識者会議」設置
1998年12月…  同 報告書
1999年5月…「少子化対策推進関係閣僚会議」設置
1999年6月…「少子化への対応を推進する国民会議」設置
       男女共同参画社会基本法成立
       厚生省・低用量経口避妊薬(ピル)認可
1999年12月…「少子化対策推進基本方針」
       新エンゼルプラン(平成12~16年)
2000年5月…  児童手当制度の改正(義務教育就学前までの児童に拡大)
2001年1月…  育児休業中の所得補償(40%)
2001年7月…「仕事と子育ての両立支援策」(待機児童ゼロ作戦)
2002年3月…「少子社会を考える懇談会」設置
2002年9月…「少子化対策プラスワン」
2003年7月…「少子化社会対策基本法」成立、「次世代育成支援対策推進法」成立
2004年4月…  児童手当制度の改正(小学3年生までの児童に拡大)



とりわけ1.57ショックによって、すぐに制度化されたのが、育児休業制度です。育児休業法が成立し、徐々に改善されてきました。一年間の育児休業期間中、最初は所得保障がなかったのが、25%の保障がつき、社会保険料の支払いは免除され、さらに所得保障が40%へと引き上げられました(2005年からは、保育所入所待機の場合には、6カ月間延長可能となりました)。公務員については、最初の一年間は所得保障があり、あとの二年間は無償ですが、三年間育児休業がとれるというように、変わってきました。


エンゼルプランと新エンゼルプランは5カ年計画で、主として育児休業を取得した後の保育サービスの強化を続けてきました。保育所の数そのものは、実は1990年代に入る前に、全国的には供給過剰になっていたのですが、その使い勝手は午前九時から午後五時までと判で押したような利用の仕方であるため非常に使いづらいということで、サービスの拡大が進みました。乳児保育、早朝保育、延長保育、一時保育などの使い方ができました。幼稚園にも、預かり保育が出てきました。さらには、小学校の放課後児童対策も出てきた。日本では、ベビーシッター(子守)サービスが社会的に発達しません。それを補う形のファミリーサポートセンターのように、地域ごとに自治体が音頭をとってベビーシッターをシステム化するということが行なわれています。地域社会における保育サービスの供給を拡大していく、そういう様々な政策がとられ続けたと見ることができます。


育児休業並びに保育サービスは、仕事と家庭の両立支援、ジェンダー関係の改善という点が主眼の政策です。その点では、まがりなりにもこの一四年間、政策が強化されてきたと捉えることができると思います。


家族政策のもう一つの中心になる子育て経済支援は、児童手当法が何回か改正されたのですが、つい最近児童手当が小学三年生まで支給されるようになるまでは、全体としてはほとんど強化されませんでした。


◆政策スタンスの変化
政策的には、どこで大きく変わったのでしょうか。1997年に人口問題審議会が「少子化報告書」を出しました。翌1998年に、厚生省が初めて少子化問題を取り上げた『厚生白書』を発表しました。それ以前はどちらかというと、男女役割分業型の家族観を大きく変えることはないままに、女性の社会進出の進展に応じて、育児休業制度の導入やエンゼルプランで対応するという感じでした。ところがこの「人口審報告」と「厚生白書」は、非常に大胆な政策転換を表明しています。それまで日本社会の前提とされていた日本型雇用慣行とか家族のあり方を真っ向から批判しました。「固定的な男女の役割分業」や、「仕事優先の企業風土の是正」などの言葉で、日本社会の根幹をなすシステムを批判するという先進的なスタンスをとつています。


もう一つの大きな変化が、2002年の「少子化対策プラスワン」です。それまでの10年間、少子化への対応を続けてきたけれど、出生率は年々下がり続けているため、もう一工夫必要だということでプラスワンが打ち出されました。背景には、1990年代までは出生率低下の基本的な原因が、結婚・出産の高年齢への先送り、いわゆる未婚化、晩婚化、晩産化にあるという認識が強かったのですが、結婚後の子どもの産み方も九〇年代に入って徐々に遅くなっていることが、新しい動向として明らかになりました。それまでの、「仕事と家庭を両立させる政策をとれば、間接的に結婚支援になり、出産支援にもなるのではないか」という見方から、「もっと直接的に、子育てしやすい家庭をつくることに力点を置く。専業主婦の子育ても支援する」という考え方が出てきました。


このプラスワンに基づいて、「次世代育成支援対策推進法」が2003年に出来ました。これは、少子化対策プラスワンの一項目として入っていたものを法制化したものですが、従業員301人以上の事業主、すべての自治体、国の行政機関に子育て環境の改善を求めています。


企業にとっては、仕事と子育てが両立しやすくするための計画を自らつくり、具体的な達成目標値を立て、それを国に報告することを義務付けたものです。民間の活動に政府が直接介入するという一見非常に強力な政策です。もう一つは、超党派の議員グループの提案による「少子化社会対策基本法」です。これは基本法ですから、具体的な政策が大まかに並んでいます。基本法は、高齢社会対策基本法とか、男女共同参画基本法と同じように、総理直轄の内閣府の法律ですので、内閣が直接この少子化問題に責任を持つことを明示したものです。少子化社会対策会議を設け、少子化社会対策大綱をつくり、毎年、『少子化社会白書』を出すことを義務づけた法律です。


海外から見ると、「日本はすごい政策を推進している」という印象をもたれているようです。しかし、外国の研究者に「実は、この法律にはペナルティーがない」と説明すると、皆「何だ」という顔をします。欧米では、ペナルティーのない法律はあまり意味を持たないのです。日本の場合は、以前から罰則規定のない法律を、努力義務などを設けて施行する傾向がありますので、何がしかの意味はあると思いますが、海外では消極的なものと受けとめられています。しかし、少子社会対策基本法の中に、「少子化に歯止めをかける」という一言が入っていることが重要でして、そこから日本の少子化対策が、出生率に対する直接的なかかわりを持つ家族政策に転換したと見ることができます。


国連人口部が中心になり、人口の様々な動向を各国政府がどのように評価し、政策的な対応をしているか否かを定期的に調査しています。1996年までの調査では、日本は、「出生率が低すぎる。しかし、政策的な介入はしていない」という回答だったのですが、2003年のアンケートでは、「引き上げ」という方向に変わっています。幾つかの国がそちらの方向に答える傾向が出てきています。つまり1996年から2003年の間に、そういう立場をとる国が全体として増えているといえますが、日本もそちらの方向に舵を切ったといえると思います。それが今の日本の家族政策の政策理念の変化です。


◆世論の変化
政府のスタンスの変化の背後には、世論の変化もあるように思われます。2000年まで2年ごとに行ってきた調査結果の一部で、1990年以降の結果を並べたものです。調査対象は50歳未満の女性ですが、少子化についての態度として、「少し心配」と「非常に心配」のパーセントが年を追うごとに増えています。とくに「非常に心配」が増えています。全体として、70~80%の女性が「心配」と答えています。


政府による少子化対策への賛否の推移を示しています。1996年と1998年の間で回答の選択肢が変わっていますので単純比較はできませんが、1990年から1996年でみると、少子化対策に賛成か反対かという二者択一的な質問でしたが、徐々に賛成が増えてきました。1998年からは、「子育て環境の改善」という選択肢を加えましたので、それを支持する人が大きなシェアを占めていますが、1998年から2004年の間でも出生政策に賛成する人が増える傾向が見てとれます。政府のスタンスの変化と、世論の変化が、ある程度整合性をもつと見ることができます。以上が少子化対策以後の日本の家族政策理念と世論の変化です。


◆領域別の変化
「少子化対策」以後の領域別の変化に注目してみます。家族法の領域は大きく変わっていません。離婚が一段とふえてきて、非嫡出子の相続権の問題とか、夫婦別姓の問題とか、いろいろ出てきていますが、今のところ法的な改正はありません。


リプロ・ヘルスの領域では、若者の間で未婚者がふえ、未婚者の性交渉がふえ、性感染症がふえ、中絶率が上がり、「できちゃった婚」がふえるなど、非常に大きな変化が続いています。相変わらず婚外子の率は非常に低いため、婚姻=出産の体制は続いています。もう一つこの分野で大きいのは、1994年の国際人口開発会議(カイロ会議)の行動計画が日本に及ぼした影響です。


優生保護法が母体保護法に改められ、遺伝的理由による不妊手術が認められなくなったことが第一点。それから、長い問懸案になっていた経口避妊薬(ピル)が1999年に認可されたことも、カイロ会議の影響ではないかと考えられます。ビルは欧米と日本では異なった歴史をたどつたために、ピルが認可されたといつても、利用する人は非常に少ない状況にありまして、欧米においてピルがもつた技術的、社会的な意味合いを日本でも持つかどうかは、今のところ分かりません。ピルの認可が女性の避妊に対するイニシアチブを促すことに全くつながっていません。他にリプロ。ヘルスの問題では、晩婚、晩産の影響が多分あるのでしょうが、不妊カップルが大きくふえていることが指摘されており、国立社会保障・人口問題研究所の調査でも、 13%の夫婦が不妊の相談をしていることが分かりました。不妊治療の問題が少子化社会対策基本法の中の一項目として取り上げられたのも、そういう背景があるのではないかと考えられます。


子育ての経済支援の領域については、2004年に児童手当が小学校3年修了まで引き上げられました。第一子、第二子が月5,000円、第三子以降は月10,000円という形で、子育て経済支援が強化されたわけですが、変化としてはそれほど大きなものではありません。



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