家族の変化につれて夫婦関係はどのように変化しているのであろうか。家族は固定的なものではなく、時代や社会経済的変化により変容している。ここでは近代日本の家族変動を、明治時代の「直系家族としての「家」制度」、戦後の「近代家族」、 さらに1980年以降の「個人化」「多様化」してきた「現代家族」へと3つの段階と捉え、家族の内部の過程である夫婦関係の変容を、内部構造の変化からみてみよう。
夫婦関係の内部構造
夫婦関係とは、①社会的な承認、②結合関係に権利義務が伴う、③継続性、④全人格的関係の4要素をもつ結婚によって結合された男女間の関係を指し(第3章参照)、家族関係の中では親子関係と並んで中核的な関係をなす。
生活共同体である家族は、社会に適合し、家族成員の欲求を充足させ、生活体として自らを維持してゆくための集団としての内部の仕組みがある。夫婦関係の内部の仕組みは、役割関係、勢力関係、情緒関係から成り立ち、家族の変化に伴い夫婦関係の内部の仕組みも変容している。
まず、役割とは期待された行動様式である。家族内には、夫と妻、父と母、親と子、兄弟姉妹、祖父母と孫といった地位関係がある。たとえば夫および妻という地位を占めた人には、それぞれの地位にまつわる役割が期待され、夫と妻の人間関係は、両者間の役割遂行の相互作用=役割関係を機軸にして成立する。役割の遂行は、自分の役割認知だけではなく、社会規範や相手の役割期待を知覚し、状況を考慮に入れて役割を捉え直し、自らの役割規定に基づいて行われる(森岡1991)。
次に、権力とは地位の影響力が社会規範によって支持されているものをいい、勢力は潜在的なものも含めて事実としての影響力をいう。権力の序列は最高権力の下位分割によつて出現するが、家族を構成する親族間の間柄が複雑であればあるほど、家族が社会構成の基礎単位として利用される程度が大きいほど、権力の序列が発達しやすい。すなわち、夫婦家族制より直系家族制において、権力が序列化されやすい。これに対して勢力の序列化は、家庭生活上の必要な意志決定など実際の影響力の序列であり、指導力の体系である(森岡・望月1991)。
家族内の情緒には愛着だけではなく反発や無関心などの肯定否定両面がある。夫婦の情緒的な関わりは、夫婦の伴侶性(配偶者への信頼、理解などの態度、コミュニケーション、一緒の余暇行動などの行動や共通性)、結婚満足度、夫婦の葛藤などで捉えられる(森岡1993)。
役割関係、勢力関係、情緒関係の決定には、社会規範、資源(役割の遂行能力、技術、知識、時間など)、人間関係の3つの要因があり、夫と妻の役割、勢力、情緒関係の変化はこれらの要因の変化によつて生じる。
明治民法で規範化された夫妻と役割関係
1898(明治31)年に明治民法で定められた「家」は戸主と家族(戸主以外の近親者)を構成員とし、戸主は「家」の成員を統制する権利として戸主権をもち、家族の居所指定や婚姻・養子縁組・分家などの許諾や拒否を行う一方、家族の最終的な扶養義務を負った。
先祖祭祀の権利も保有し、戸主権は家督相続によつて長男に継承された。妻は「夫権」に従うものとされ、重要な取引行為をなすのに必ず夫の許可を得なければならない意味の「無能力者」とされ(旧法第14~ 18条)、夫が妻の財産管理権をもち(旧法第799条、第801~ 803条)、妻に重い貞操義務が課せられるなど、夫婦不平等の立場で規定されていた。
「家」の目標は「家」の系譜の永続的繁栄で、家長をはじめ「家」の構成員はそれぞれの地位・役割において「家」の永続的繁栄のために禁欲的に奉仕した。また「家」の生活保障は家族・親族のインフォーマルな役割分担や村落共同体の相互扶助によって行われた。「家」の成員は、家産に基づく家業の良き担い手として役割分担する。たとえば農家では、夫は農作業、家計などの家政管理、子どもへの家業の伝達や礼儀作法やしつけを、嫁(妻)は農作業と衣食住に関する家事と跡継ぎを生む出産や授乳や子どもの世話などを、それぞれが分担して生活を維持していた。また、豪商の「主婦」は一家の家事を取り仕切る「しゃもじ権」をもった女性で、嫁や使用人を指揮監督する責任者であったが、あくまで夫の管理下での整理役割を担っていた。
「家」制度と夫婦の勢力関係
家長は、戸主として家督(系譜、祭具、墳墓)の管理・所有の権限と、誰が戸の一員であるかあるいは一員になりうるかということを許可する権限をもち、権力、勢力ともに強かった。明治民法は家族制度の拠りどころとなり、男・父は何の能力がなくとも威張っていられる裏付けを得て(湯沢2006)、妻はあくまで夫に従順に従うものとされていた。
「家」制度と夫婦の情緒関係
明治民法下の日本の「家」制度では、夫婦という単位は「家」の跡継ぎの子どもを得ることと生産労働の共同以外に構造的重要性はもたなかった。
1882(明治25)年の重野安鐸著『尋常小學校修身』教科書の家族の食卓風景の挿絵は、銘々膳を前に厳格な父親が上座に、子どもは礼儀正しく正座し、うつむき加減で食事をとっている。家族間で楽しく会話が交わされている様子はなく、食卓風景は「謹慎」という徳目を表現するために用いられている。ところが日露戦争後、一転して食卓風景が和やかな雰囲気となった。
1905(明治38)年の修身教科書では、孫が祖母の膝に座って食事をし、長男の話に父親をはじめとする家族が耳を傾け団彙している。しかし、妻は給仕をして団彙に加わっていない(袖井2004)。
