配偶者選択のメカニズム
配偶者選択のメカニズム

配偶者選択のメカニズムを考える上で、配偶者選択の方式についてみることも大切である。配偶者選択の方式は、誰が選択をするのか、 という観点から、大きく2つに分けられる。1つは、結婚する本人が配偶者を選ぶ方式であり、もう1つは、結婚する本人ではなく、親や親族などの意志が優先されて配偶者が選ばれる方式である。

この2つの選択方式を結婚の分類にあてはめると、前者は「自由結婚」、後者は「協定結婚」ということになる。具体的にいうと、自由結婚の典型は「恋愛結婚」である。また、日本における「見合結婚」は協定結婚の日本的典型であるといえる。

配偶者選択の2つの方式を、家族制度と社会の階層構造との関わりからみてみよう。まず、家族制度との関わりについては、結婚する本人が配偶者を選ぶ方式は、夫婦家族制が一般化した社会に適応した方式といえる。すなわち、結婚とともに親元を離れ、新しい家族をつくる夫婦家族制の社会に適応した方式である。一方、親や親族などの意志が優先されて配偶者が選ばれる方式は、親族結合が強く働いている直系家族制や、複合家族制の社会にみられる。このような社会においては、「結婚は、家族と家族とを結びつけるものとして把握」されるため、本人にはほとんどよらず、多かれ少なかれ、親や親族の介入によって配偶者が選択される(森岡・望月1997)。

次に、社会の階層構造との関わりについては、結婚する本人が配偶者を選ぶ方式のもとでは、なにより、本人同士の自由な交際がなされることが前提となる。したがって、この方式は、階層構造が希薄な社会にみられるといつてよい。これに対して、親や親族などの意志が優先されて配偶者が選ばれる方式のもとでは、配偶者選択にあたって親や親族が介入する。したがって、この方式は、階層構造が顕著な社会にみられるといってよい(古谷1991)。一般に、社会階層において上層の地位にいる者ほど、その地位の維持に敏感であり、配偶者選択に親や親族の意志が反映されるといわれている(森岡・望月1997)(姫岡1976)。

恋愛結婚と見合結婚について具体的にみていこう。米国の家族社会学者ブラッド(R.O.Jr.Blood)は、純粋な見合結婚の特徴として伝統的な形式性、主導性や判断における他者依存、婚前交際の欠如、愛情の欠如を挙げている。一方、純粋な恋愛結婚の特徴としては形式的な儀式に代わる実質性、主導性や判断における自立性、デイトと求愛、情緒的没入を挙げている(Blood 1967、1978)(望月 1996)。

1960年代後半に恋愛結婚が見合結婚を上回り、現代の結婚は恋愛結婚が中心となっていることがわかる。この背景には、1950年代後半における産業構造の転換ということも1つの要因として関わっている。すなわち、日本では1950年代以降、第1次産業が衰退し、第3次産業が進展した。この産業構造の転換とともに農村部を中心に直系家族の割合が減り、直系家族の形成に適応した見合結婚が減少し、一方、都市部を中心に夫婦家族の割合が増え、夫婦家族の形成に適応した恋愛結婚が増加したのである。

同類婚と異類婚

ここでは、同類婚(homogamy)異類婚(heterogamy)という考えについてみていこう。同類婚と異類婚を、内婚-外婚原理と比較すれば、内婚-外婚原理が配偶者選択を「集団の側」からみたものであるが、同類婚と異類婚は、配偶者選択を「個人の側」からみたものであると区分することができる。

同類婚

同類婚は、配偶者を選ぶとき、個人の社会医的・文化的な属性、たとえば、社会階層、教育程度、自分や親の職業、趣味、関心など、がてきるだけ類似している者を求める傾向にあることをいう。つまり、 同類婚は類似性の要因によって規定される

同類婚を規定する要因には、類似性の他に、近接性、社会的圧力、合理的選択という要因もある(光吉1978)。

近接性

近接性とは、私たちが他人に親しみを覚える要因には、 身近であることも関わるということだ。すなわち、近接性の要因とは、地理的に近いところに住む者同士が結婚するというものである。地理的な距離の近さは、互いの面識機会をより多く提供し、配偶者として選択するきっかけをつくる。

つまり、お互いが配偶者として選択しあうためには、2人が直接出会い、相互に関わりながら関係を深める機会があることも重要な要因になる。地理的な距離の近さは、社会階層や教育程度など、同一の社会的カテゴリーを伴うこともある。すなわち、自分と似た社会的カテゴリーの人は地理的に近いところに住む可能性が高くなる(菰測1981)。それゆえ、近接性は、同類婚を導く一つの要因と考えることができる。

配偶者選択と近接性との関わりについてみたものに「男女の居住地が近ければ近いほど相互作用から結婚に至る蓋然性が高い」とする「居住近接」(residential propinquity)の考えがある(森同・望月1997)。

カッツ(AM.Katz)とヒル(R.Hill)という米国の社会学者は、居住近接の考えに基づき、配偶者選択に関する「規範-相互作用説」(norm-interaction theory)を展開した。

この説によれば、第1に、結婚は結婚適格者の範囲内で相手を選択するという点で規範的であり、第2に、結婚適格者の範囲内で結婚に至る見込みは、お互いの相互作用の見込みに応じて直接変化し、第3に、相互作用の見込みは、2人の間にある地理的な距離の中で両社が出会う機会の割合に比例する、というものである(Katz and Hill1958)(望月1972)。

社会的圧力

社会的圧力とは、配偶者選択に関して、異類婚に反対する周囲の人びと(両親や友人や同じ社会階層に属する人びと)からの圧力によって同類婚が導かれるというものである。つまり、友人や同じ社会階層に属する人びとからの統制がなされる結果、社会階層などにおいては類似した者が配偶者として選択されるというものである。同じ社会階層に属する人びとからの統制は、たとえばデイト相手に対する彼らの反応によって強められることが多い(Zelditch 1964)(光吉 1978)。

合理的選択

合理的選択とは社会階層や教育程度などの属性は、できるだけ似ている方が、結婚後の共同生活を比較的安定したものになるのではないかという合理的な判断に基づいて同類婚が選択されることをいう。

以上、同類婚を4つの要因に即してみた。同類婚は、配偶者として選んでよい者の範囲が内婚原理によってきめられていることの結果であるといえる。ここから、同類婚も内婚も同義に用いられることもある(望月1996)。

異類婚

異類婚は、同類婚とは反対に自分とは異なる属性をもつ者を配偶者として選ぶ場合をいう。同類婚は、社会的・文化的属性に関するものであったが、異類婚で指向される異質性は特に心理的属性における異質性である。異なるといっても、多くは考え方やものの見方といった価値観、趣味・性向の世界における異質性なのである。

心理的属性の観点から異類婚を基礎づけた理論としては、米国の社会学者ウィンチ(R.R.Winch)による「欲求相補説」(theory of complementary needs)が挙げられる。ウィンチは、「人間のあらゆる行動は欲求充足を志向した活動である」という前提にたち、「配偶者選択において、個人は結婚適格者の範囲内で、自分の欲求を最大に満足させてくれる見込みの最も多い人を求める」とした。その上で、配偶者選択の過程は「自分の欲求と相補性のある欲求をもつ者を選択する」という「欲求相補説」を提唱した(Winch1963)。

相補性のある欲求「欲求相補性」とは、「2人の間にかわされる一つの行動によって、2人の異なった欲求が同時に満足させいれるような関係にある欲求様式」のことを指す(森岡・望月1997)。

ウィンチは、「欲求相補説」を吟味するために25組の夫婦を対象に調査を行い、配偶者選択に関する相補性のある欲求として「支配-服従(dominance-submissiveness)」「世話-受容(nurturance-receptivity)」という2つの欲求の組合せを見出した。この表でいう「イプセン型」と「母一息子型」には、親子関係(parent-child relationships)がみられるとウィンチは指摘する(Winch 1963)。また、「サーベリアン型」のサーベリアンとは、米国の作家・漫画家であるJ.Thurberが描く男女関係にちなむもので「カカア天下型」ということができる。

 夫=世話/妻=受容夫=受容/妻=世話
夫=支配/妻=服従イプセン型 (人形の家型)主人・召使い型 (亭主関白型)
夫=服従/妻=支配サーベリアン (かかあ天下型)母・息子型

(出典)Winch 1968

前者は、2人の間における同一の欲求が異なる強さの水準で満たされる欲求様式である。すなわち、一方が高い支配欲求をもっているのに対して、他方は低い支配欲求しかもたない場合である。

後者は、2人の間における異なる一対の欲求が満たされる欲求様式である。すなわち、一方が世話好きであるのに対して、他方は他者からの助力を欲求する依存的な性質である場合である(Winch 1968)(古谷1991)。ウィンチは、配偶者選択はこれらの相補的な欲求を互いにもつ者同士の組み合わせでなされるとし、これらを夫と妻で組み合わせることで、相補的欲求で選択しあった夫婦には4つのパターンがあることを示した。

相補的な欲求の組み合わせが配偶者選択に関わるという「欲求相補説」は、心理的属性に着目した場合の異類婚の傾向について指摘した点で画期的であった。しかし、たとえば、夫婦が類似の欲求(similar needs)をもつ場合でも、相補性のある欲求をもつ場合と同様に相性が良くうまくいっているという批判も存在する(Rosow 1957)(Winch 1968)。したがって、ウィンチの「欲求相補説」には課題も残されている。