産業化と都市型労働者家族の増加
産業化と都市型労働者家族の増加

産業化が家族変動を引き起こす動因であることは前述したとおりであるが、産業化はどのような社会の変化を生み出すのであろうか。日本の産業化政策は戦前にまでさかのぼるが、産業化の特徴を人口の都市集中や第1次産業の衰退と第2次・第3次産業の発達、就業構造の変化(雇用者化)と小家族化・核家族化などに求めるとするならば、そのような意味における産業化の特徴は、第2次世界大戦後の高度成長期に求めることができるであろう。

戦前の産業化政策が軽化学工業を中心とした経済社会の変化であったのに対して、第2次世界大戦後の工業化政策は、重化学工業を中心とする経済社会の変化であり、石炭から石油へのエネルギー政策の転換を伴う変化でもあつた。この変化は、太平洋ベルト地帯に巨大な工場群を集積させ、農村から都市への人口の都市集中と、過密・過疎、公害・環境破壊などの生活問題を生み出す変化でもあった。

このような変化の過程で、日本の産業構造は、第1次産業を中心とした就業構造から第2次。第3次産業を中心とした都市型就業構造へと変化している。国勢調査の資料によると、第1次産業は1950(昭和25)年の41.1%から1970年の19.3%へと低下した後、2010(平成22)年の4.0%へと激減している。これに対して、第2次産業は同期間に21.8%→ 34.0%→ 23.7%へと変化しており、第3次産業については同期間に29.6%→ 46.6%→66.5%へと増加傾向を示している。いずれにしても、1970年以降、国民の8割以上が第2次・第3次産業を中心とした都市型産業の就業者となり、第1次産業就業者はわずか4%へと減少しているのである。

この間の市部・郡部別人口構成比の変化をみると、1950年には市部37.3%、郡部62.7%であったものが、1960年には市部63.3%、郡部35.7%と市部と郡部の人口が逆転している。その後も市部人口は増加し続け、1970年には市部72.1%、郡部27.9%と市部人口は7割に達し、2010年には市部90.7%、郡部9.3%と人口の9割以上が市部で生活する人口となっている。

いずれにしても、1960年代から70年代を中心にした農村から都市への大規模な人口移動と就業構造の変動は、都市型賃労働者家族の増加とともに、サラリーマン的思考形態と生活様式を一般化させ、日本に本格的な近代家族を誕生させる契機となったことになろう。ムーア(W.E.Moore)は、このような家族を生み出す社会状況として、次のような特徴を指摘している。すなわち、①国民経済の商業化されたシステムヘ生産部門が繰り込まれること(第3次産業が肥大化した社会の出現といえる)、②農業人回の大幅な減少、③個人の生涯を通じても、世代間を通じても、高度の労働移動を要求する職業構造が成立すること、④地理的・社会的な広範な移動性がもたらす拡張的親族組織への否定的な影響および、大人の世代問、大人のきようだい間における親密な絆の後退、⑤広範な「家族の解体」による伝統的パターンの崩壊と不完全ながらも新しい制度の確立、⑥配偶者選択と親子関係への個人主義の影響、そして、⑦家族が経済的単位でなくなることによる女性の社会的地位の低下がそれである(清水ほか2004:55)。

ムーアのいうような社会状況は、日本では高度成長期に最も強く現れており、このような社会の変化が家族の規模・形態、家族意識や家族関係、家族の価値や規範等に多大のインパクトを与えたことになるであろう。

産業化と近代家族の誕生

賃労働者家族の増加は、核家族化・小家族化などともに「愛情」から出発した近代家族を生みやすい家族構造の変化でもあった。

このような家族は産業化が先行したイギリスでまず誕生した。第1章でも取り上げたように、ショーターは、近代家族を産業革命以降における経済社会の変動に連動しながら、「ロマンティック・ラブ」「母性愛」「家庭愛」など3つの感情革命を経て形成された家族であると述べた(Shorter1975-1987)。

ついで、産業化が進んだ20世紀のアメリカでも近代家族が誕生した。そこでは、家共同体や地域共同体の行為規範の東縛(制度)から開放され、愛情によって結ばれた夫婦家族が増加した。バージェス(E.Burgess)とロック(H.J.Locke)は、このような近代家族を「制度的家族から友愛的家族へ」と表現している(Burgess and Locke 1945)。

日本にそのような家族が誕生するのは、第2次世界大戦後とされている。

それは日本が近代化と民主化という課題に向けて歩き出した時期と歩調を一にしている。近代家族のモデルは、アメリカの核家族に求められた。すなわち、憲法第24条に規定された男女の自由・平等と、両性の合意に基づく結婚(愛情重視)から出発する夫婦家族がそのモデルであった。

落合恵美子は日本で「制度から友愛へ」という近代家族の創出を担った世代は、人口学的立場から、1925~ 1950年までに生まれた世代であるとしている。彼女はこの世代を「家族の戦後体制」の担い手と位置づけ、この世代こそ、高度成長期を背景に、結婚前は職場で働き、適齢期にはいつせいに家庭に入り(主婦化)、平均2人の子どもを産み、子どもにたっぷり愛情を注ぎ、子育て後にいつせいに職場へと進出した(80年代)、性別役割分業社会の担い手たちであるとしている。

結婚形態の変化については「1965~ 69年」に見合結婚と恋愛結婚の割合が逆転した後、恋愛結婚が急増している(動向の詳細は第3章で検討)。また、2001年に実施された内閣府「国民生活選好度調査(平成13年度)」によると、配偶者選択の際、本人同士の考え方と両家の考え方のどちらを重視するかという質問に対して、「本人同士の考え方を重視する」という回答が全体の89.6%に達しており、現代家族が愛情重視型、当事者の自由意思による結婚で成立していることが確認される。

いずれにしても、日本では高度成長期における人口の都市集中と雇用者家族の増加、見合結婚から恋愛結婚へという家族形成原理の変化、落合のいう性別役割分業と女性の主婦化を軸にしながら、それまでの伝統家族とは異なる新しい都市型核家族が近代家族として登場している。その特徴は子どもとの同居によつて先祖代々継承される伝統家族とは異なり、愛情による配偶者選択と結婚を機に若夫婦のみの世帯となり、子どもの誕生で夫婦と子どもの世帯となり、子どもの教育・独立後は老夫婦のみの世帯となり、配偶者との死別後は一人暮らしの高齢者世帯となり、残された1人の死亡によつて家族が消滅するという、1世代限りで消滅する家族周期をもつ点にある。