家族の定義は論者によって多少の違いがあるが、ここでは、わが国の代表的な家族社会学者の標準的なものを1つだけ取り上げる。森岡清美は、家族を、「夫婦・親子・きょうだいなど少数の近親者を主要な構成員とし、成員相互の深い感情的かかわりあいで結ばれた、幸福(well being)追求の集団」と規定している(森岡・望月1997)。この定義には3つの要点が含まれている。
- 構成員からみると、家族は近親者を主とする親族集団であること、
- 結合の性質からみると、深い感情的な関わりを特質とすること、
- 家族機能からみると、第1次的な幸福追求を志向していること、などである。
まず①についてであるが、かつての日本の家族(「家」)の場合、家族の中に奉公人など非親族を含んでいる場合があった。この評価をめぐり、家族を親族集団としてよいのかが問題とされた。しかし、「親族を主要な成員」とするのであるから、時代の社会、経済、政治、文化的な制約から、周辺的な構成員として非親族を含むことがあったとしても、別に支障はないだろう。
もちろん、その場合、非親族の家族への取り込まれ方が問題となろう。次に②についてであるが、かつて、「感情的融合」(戸田貞三(戸田1937→ 1970))、「人格的感情融合」(喜多野清一(喜多野1965))などといわれていたものが「深い感情的なかかわり」と置き換えられている。これは、現代の家族に生じている、たとえば家庭内暴力のような、深い感情的な絡みの負の面まで射程に入れたものと評価してよい。さらに③についていえば、家族機能を「幸福(well_being)追求」と総括的に示しているが、これは、「性」、「生殖」、「経済」、「教育」、「保護」等々家族が遂行する諸機能を貫通する基底にあるものに着目して、家族機能の特質を示したものである。たしかに、項目列挙的に機能を挙げていっても、 どの機能も、厳密には、家族に固有の機能とはいいにくい。たとえば、家族は「性」の欲求を充足させる機能をもっている。しかし、性の自由化の趨勢の中で、「性」の欲求を充足させる場は家族に限定されているわけではない。
世帯
世帯は消費生活の単位である。住居と大部分の生計を共同にする人びとからなる集団ということができる。住居と大部分の生計を共にする人であれば、相互に親族関係に無関係な人たちでも、同一の世帯員ということになる。家族は先に述べたように親族集団であるが、世帯は同居の共同生活単位をなすものであり、構成員は親族に限定されない。非親族の奉公人や女中は、主人の家族員ではないが、世帯員ではある。雇用労働者の家族が大多数を占めるようになった現在では、奉公人や女中を置く家族はきわめて少ない。
家族は同居する者ばかりではない。同居家族員の他に、単身赴任中の者、家族の本拠を離れて就学中の者など他出家族員を含んでいる。しかし、世帯は同居の単位であるから、他出世帯員というものはありえない。
森岡らによると、わが国において世帯という概念があらわれたのは、1910年代で、はじめは「所帯」と呼んでいた(森岡・望月1997)。政府が国民の生活実態を把握する方途を講じようとして導入したものだった。1920年代「家」が空洞化して生活保障機能が後退するなかで、行政による保護の単位として世帯の概念が、行政用語として定着していったといわれている。
1920(大正9)年から始まった国勢調査は、調査対象を同居の共同生活単位である世帯に置いている。国勢調査では、世帯は「一般世帯」と「施設等の世帯」に分けられ、「一般世帯」は、さらに、「親族世帯」、「非親族世帯」、「単独世帯」に分けられている。全国的な大規模な家族に関する調査結果のデータはない。国勢調査結果から家族をみることが、 しばしば行われるが、その際には、他出家族員を除いた同居親族集団を家族とみなしていることとなる。
